新居浜市の魅力

新居浜市について

新居浜市は四国の瀬戸内海側のほぼ中央に位置し、北部は瀬戸内海に面し、南には西日本最高峰の赤石山系が連なる、豊かな自然に恵まれた都市です。
また、元禄四年に開抗した別子銅山によって発展した瀬戸内有数の工業都市でもあります。
市内には貴重な別子銅山の産業遺産が数多く遺されており、東洋のマチュピチュと呼ばれる貯鉱庫跡など、観光コースとしても人気があります。
また、秋には四国三大祭りにあげられる新居浜太鼓祭りが開催され、県内外から訪れた多数の観客を魅了しています。

新居浜の観光

新居浜太鼓祭り

太鼓台の起こりがいつであるかはっきり答えられる資料は、現在のところ確認されておりません。
地域の伝承によると、祭礼の時、神輿に供奉する山車の一種で信仰を対象にした神輿渡御の際、その列に参加して厳かに供奉し、豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたもので、その起源は平安時代、あるいは鎌倉時代にまで遡るといわれています。

太鼓台が記録の上で出てくるのは、江戸時代後期、文政年間(1818~1830)のことで、その頃は「神輿太鼓」と書かれることが多かったのですが、時代を経るにつれて「太鼓台」あるいは「太鼓」とされることが多くなってきました。

太鼓台の全国的な分布を見ると、瀬戸内海沿岸の港町、漁師町、あるいは大きな川の輸送拠点に多く見られます。これは、瀬戸内海の海上交通が古くから盛んで、物質の流通、文化の交流が活発に行われたことによるものと考えられています。

幕末から明治時代初期の太鼓台は、現在の子供太鼓台くらいの大きさしかなく、飾り幕も薄めで天幕も現在のような膨らみを持ちませんでした。しかし、別子銅山の開坑により産業が進展し、地域経済が発達するにつれて太鼓台を所有する複数地域の対抗意識も強まり、明治中期以降から急速に巨大化し、明治時代中期から昭和時代初期の太鼓台は、現在の太鼓台と同じくらいの大きさになり、飾り幕は縫いの発達とともに豪華に、また天幕も膨らみを持ったものを付けるようになりました。

現在では、瀬戸内海沿岸にある数多い太鼓台の中でも、150人余りの男衆で差し上げられ、澄んだ秋空に舞う新居浜太鼓台の姿は、その豪華絢爛さ、勇壮華麗なことから「男祭り」の異名をもち、毎年約30万人観衆を酔わせて止まない魅力ある祭りとして、全国的にも知られるようになりました。
(本文は、新居浜市発行の「新居浜太鼓祭り」p4~5より抜粋)

マイントピア別子・東平

マイントピア別子は、かつて日本三大銅山の一つに数えられ、新居浜発展の礎となった別子銅山300年の産業・文化遺跡を活かした銅山観光施設です。この名称は英語の「マイン」(銅山)と「ユートピア」(理想郷)を合成してつけられました。鉱山鉄道、観光坑道、砂金採り、温泉が楽しめるほか、レストラン、ショッピングプラザ、バーベキューハウスなどもあります。

愛媛県総合科学博物館

愛媛県総合科学博物館は、愛媛県の生涯学習の拠点施設として、また自然や科学技術に対する理解を楽しみながら深めていく施設として、平成6年11月11日にオープンしました。
館内には、「自然館」「科学技術館」「産業館」の三つの常設展示室があります。

自然館では宇宙のゾーン、地球のゾーン、愛媛のゾーンがあります。
科学技術館では、素のゾーン、生のゾーン、伝のゾーン、動のゾーンがあり、また産業館では愛媛の地場産業、伝統産業を実物標本やレプリカ、可動模型などによりわかりやすく紹介しています。
そのほか、ドームの直径が30mといったギネスブックに登録されたこともあるプラネタリウム、星や星雲などの観察が観察ができる天文台もあります。屋外には、四阪島製錬所で使用されていた転炉、湯山発電所で使用された水車と発電機、溶鉱炉から流失するカラミを運搬していたカラミ電車など大型産業機械を展示しています。
生涯学習の場として、多目的ホール、学習情報センター、図書室、研修室、パソコン演習室なども整備されています。

マリンパーク新居浜

新居浜市の東方に位置する新居浜東港のフェリーターミナルからすぐ先にあるこの施設には、四国最大級のマリーナ、宿泊機能を備えた研修施設、シェフが自慢の腕をふるうシーフードレストラン「ブラン・ブルー」、バーベキューの楽しめるキャンプ場、海水浴客で賑わう人工海浜、夜間照明付の多目的広場・イベント広場といった充実した施設を備えており、市内外から多くのリピーターで賑わっています。

マリンパークが創造する「海の物語」を是非一度体験してみてください。

別子銅山記念館

元禄4年(1691年)、時は江戸時代、五代将軍・徳川綱吉の時代に開坑した別子銅山は、以来、明治・大正・昭和と282年の長きにわたり掘り続けられ、幕末の激動に翻弄されながらも、昭和48年の閉山まで住友が一貫して経営しました。
別子銅山記念館は、別子銅山の意義を永く後世に伝えるため、住友グループによって昭和50年に建設されました。

建物は、鉱山坑内を彷彿させる独特の半地下構造になっています。
泉屋・歴史・地質鉱床・生活風俗・技術の各コーナーがあり、貴重な資料を展示しています。

この記念館の前には、ドイツのクラウス社から購入し、日本最初の山岳鉱山専用鉄道である「別子1号」の蒸気機関車が保存展示されています。
また、記念の屋根には、別子銅山が開坑された五月にちなみサツキが一万本、周囲には3,000本植えられ、市内随一のサツキの名所として市民や観光客に親しまれています。
(新居浜市観光サイトより抜粋)

広瀬歴史記念館/広瀬公園

幕末・明治の動乱期に、政府による接収や住友の経営難による売却から別子銅山をまもり、その開発の近代化を推進した広瀬宰平。
彼はまた、わが国の産業の育成にも力を注ぎ国家の発展に貢献しました。

この記念館は、宰平の足跡を通して新居浜の生い立ちと日本の近代産業の歩みをたどる施設です。
(新居浜市観光サイトより抜粋)


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